2022年7月7日木曜日

仁科陽司

 本名と3つの別名

14歳あたりで1つ生まれ

20代で2つ増えた。


当然だけど、基本的な自分は同じ。

ただ、攻撃的な部分ややさしい部分とか

人が持っている様々な部分を

個別に切り取って大きな特徴として

そのシチュエーションに適した自分を出してゆく。


20代後半から

副業的な分担(デザインとか物書きとか)をして

使い分けていた。


1人が表に立っている時

他の3人が客観的にみて

行動の評価したり、茶化したりしてきた。


30代半ば

沖縄に移住したあたりから

2つを使わなくなった。

副業的な活動を辞めたのと、

4分割しなくても

平均的な「自分」が安定してきたから。


仕事では本名。

それ以外ではもう1つ。

両方を知っている人は沖縄では僅か。



今の沖縄の知り合いにいうと

「まさか」

って言われるけど

極度の人見知りだった。

仕事をしていても、若干支障があって

事故車買取の飛び込み営業なんかも経験したりした。


ここを変えていったのは

別名筆頭の「仁科陽司」

中学生の夏に

伊豆の崖でふわぁと白い何かが

自分の身についた感じ。

こう文字で起こすと怖いな・・・

他の二人も別の地で似た感じで登場。


今はもう、中年というか初老の図々しさと立ち位置で

オドオドした感じはだいぶなくなったけど

仁科陽司が強気の活動をして

大きく変えていった。


別名無くそうと、何度か思ったけど

もう無理。

このまま

本名+仁科陽司の2ネーミング体制で最後まで行くんだろうけど

仁科陽司は

もっと攻めるべきなんじゃないの?

本名の俺に言ってきている。


そう言うだろうな

俺なら

と思った。



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